寄稿文

勝頼 文孝先生より

修行について 勝頼 文孝

中体連だより「光り輝くために」

 私は、本年五月の全日本剣道連盟居合道八段審査におきまして、諸先生方のおかげを持ちまして、図らずも居合道八段位に昇段させていただきました。心よりの感謝を申し上げます。大変に恐縮ではございますが、幼い頃より長年に渡り師匠から指導をしていただいた中で私が感じている事、思っている事を少し述べさせていただきます。

 常日頃から師匠には稽古をつけていただいておりますが、殆ど具体的な指導はありません。自分自身が考え自分で稽古を積むことにより何かを見つけ、身に付けることが重要であり、その身についたものが本物であるということだと考えます。また、「お前は稽古が足りない」と常に言われてきましたが、子供の頃より一度も「稽古をしろ」とは言われた事はありませんでした。これは言ってもしょうがないのか、言いたくても我慢していたのかはわかりませんが、これも同様に誰かに言われてする稽古は全く身に付かないもので、自分で考え自らが進んでする稽古だけが身になっていくものだと考えます。

 また常日頃、師匠より「修行」についての話をしていただき、「修行はやりにくさを求めなさい」と指導されています。やりやすい事、簡単な事、好きな事などは、そんなに稽古しなくても身に付くと思いますが、やりにくい事、面倒くさい事、嫌いな事は意識をして自らが進んで稽古をしなければ身に付かないと考えます。意識して稽古することにより、徐々にそれが当たり前の事になっていくものだと考えます。今回の昇段審査を受審するにあたり、どの様な稽古も修行であると考え、やりにくく、嫌いな事を取り入れた稽古に取り組みました。剣道の稽古で言えば、掛り稽古を延々に続ける事に似ています。それが結果に結びついたかはわかりませんが、少しは何かが身に付いたのではないかと感じます。

 日常生活においても「修行」を意識し、面倒くさい事や嫌な事があっても、これも「修行」だと思えば、物事も前向きに考えることができますが、まだまだ修行半ばの未熟者の私ですので、我慢できないことも有り、嫌な事からも逃げ出したい気持ちも生まれます。今後も「人間形成」を目的に武術の稽古を通じ修行を積んでいきたいと考えます。

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