道場訪問記

その32 剣道春風会(葵区緑町)

今回紹介するのは、静岡市葵区緑町にある「剣道春風館」です。
閑静な住宅街の一角に、突如タイムスリップしたかのような建物には、名だたる先生方の名札が刻まれ、今なお歴史を刻み続ける知る人ぞ知る道場です。
館長の塩崎武世先生、芹澤駿治先生を中心に、週に一度、剣道愛好家たちが稽古に取り組んでおります

不定期ながら、道場訪問記を取材させていただく機会をいただく中、楽しみにしていた今回の訪問。一歩足を踏み入れた瞬間、ギシッと歩くたびにきしむ床、木材と漆喰で仕上げられた壁、ガラス窓に、壁一面にかけられた門下生たちの名札。建具一つ一つにぬくもりと懐かしさを感じ、昭和の時代にタイムスリップしたかのような、変わらない風景がそこには残っていました。

「剣道春風館」は徳川譜代の幕臣で、大日本武徳会静岡支部道場の教授であった2代目の小倉孝一剣道範士が、大正13年に西草深町に創設した「神道無念流剣道場春風館」が前身となり、昭和5年に現在の場所緑町移設、実に築92年の古民家ならぬ、古道場です。

「こんな道場で稽古がしてみたい」とのタイトルで、「剣道日本」に掲載された記事を読み返してみますと、明治維新の後、徳川慶喜が静岡に移り住み、その時代に剣術の好きな者を集めて2代目の小倉孝一の叔父である小倉隼太氏(初代)が創設し神道無念流の稽古をつけたのが始まりとありました。

また、名前の由来も山岡鉄舟が開いていた「春風館」の名をいただいたとの文面もあり、詳しいことはわからないのですが、と謙遜する塩崎武世館長は現在6代目になるといいます。

5代目であるお父様の塩崎潮児氏は、自衛隊を定年後に義父母が続けていた道場を引き継ぎます。剣道初心者から子供たちとともに稽古をはじめ、剣道、居合、杖道と身につけ剣道の発展に寄与してきました。42坪ほどの道場には、多くの子供たちが学んできた写真、名札がそのまま残っており、懐かしい先生方、私の同級生の名も発見、しばらく見入ってしまいました。現在は古さ故、耐震性が低く使用の際はご理解いただいたうえで・・・との張り紙もありますが、塩崎武世館長は、週末の稽古に合わせて、実家であるこちらの道場に戻ってくるとのことでした。

取材日は土曜日、19時半ころにはちらほらと門下生が集まりだし、道場の傍らにある水道場にかかっている雑巾を絞り、一人ひとり雑巾がけが始まりました。そして20時まで剣道形の稽古がおこなわれます。

20時から整列、お互い向き合い、「1、2」と掛け声をかけながらそろって素振りから始まります。

防具を着け、お互いに並ぶと、芹澤駿治7段指導の下、基本稽古。大きな正面打ち、面の切り返し、お互いの切り返し、竹刀と竹刀を分かち合いながらの切り返しはタイミングが合わないとうまくいきません。続けて面胴の切り返しと、道場内に大きな掛け声が響き渡ります。基本の稽古時間は短いですが、自身でも勉強しながらですが稽古内容を工夫していますと芹澤先生。

ほんの15分で汗がにじみ出て準備は万端です。

20時20分からは地稽古です。私も稽古に加わらせていただきながら、皆さんと汗を流させていただきました。館長の塩崎武世館長はじめ、芹澤駿治先生、白井茂先生は、今年神奈川県で開催された「ねんりんピック」の静岡市代表選手、静岡市の剣豪たちが現在も切磋琢磨しながら稽古に励んでいます。

21時、地稽古が終わりました。お互いが今日の稽古内容について語らいながら片付けをした後、一人、また一人と袴をたくし上げて、水道場に向かい雑巾絞り。道場の雑巾がけを行います。

閑静な住宅街の一角に今なお存在する「道場春風会」、駐車場の確保、周辺住宅への配慮、道場経営となれば、維持管理、剣道人口の減少と様々な声が聞かれる中、現在個人での道場を続けていくのは難しいともいわれております。

それでも6代目塩崎武世は剣道愛好家が集う場を今も守り続けております。道場を守り続けるその一歩はこの雑巾がけにあるのかと感じた一日でした。

一角に 掲げられた立派な道場訓が光りました。

  • 人格の完成に努めます
  • 誠の道を守ります
  • 努力の精神を養います
  • 礼儀を重んじます
  • 血気の勇を戒めます

教室データ

稽古場所 剣道春風会
稽古日 一般:土曜日 20時~21時
会費 管理費 5,000/年
問合せ先 塩崎武世 090-7043-7841
静岡市剣道連盟
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